紙上中継「ハングルの詩のある風景」素月と無主空山 第18回

詩子アナ:「義巌」と言われる理由は何ですか。

歌樽先生:文禄の役で1593年論介が酒に酔った日本の武将を抱きかかえて川辺の岩から南江に飛び込み二人とも溺死したのですが、その岩を「義巌」と呼ぶようになったとのことです。

詩子アナ:その岩は今も残っているのですか。

歌樽先生:残っています。写真で見てみましょう。

https://ko.wikipedia.org/wiki/%EC%A7%84%EC%A3%BC_%EC%9D%98%EC%95%94
https://blog.naver.com/kmyy1963/223260027416?photoView=2

詩子アナ:岩に何か文字が書かれているようですね。

歌樽先生:右(上)が「義」、左(左)が「巌」です。

詩子アナ:その日本の武将というのは誰ですか。

歌樽先生:いろんな説があるようです。韓国では毛谷村文助(けやむらふみすけ)、日本では毛谷村六助(けやむらろくすけ)と言われる場合が多いようです。六助の方は歌舞伎の「彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち)‐毛谷村」という演題で上演されている人物で、加藤清正の家臣になり、木田孫兵衛と名乗り、文禄の役で秀吉の朝鮮出兵に従軍したとも、また無事帰国して62歳で没したという話もあるとのことです。仇討ちがテーマとなった内容で、歌舞伎として上演される前には人形浄瑠璃や狂言でも上演されたそうです。

彦山権現誓助剱~毛谷村 | 歌舞伎演目案内 – Kabuki Play Guide –

詩子アナ:人形浄瑠璃に狂言に歌舞伎ですか?論介とは関係のない内容のようですが、驚きました。

歌樽先生:武将が誰かについても、また論介の出自についても諸説ありますが、論介が晋州の南江で日本の武将を抱えて飛び込んだ件についてはほぼ異論がないようです。

詩子アナ:チェランは南江の「義巌」を見たことがあるかもしれませんね。「萬里城」からも「팔베개 노래조(手枕の歌の調べ)」からもずいぶん離れてしまったと思っていましたが、いろんなことがいろんなところで繋がっているんですね。

歌樽先生:遠回りしていろいろ考えてみるのも長い目でみると決して無駄ではないでしょう。「萬里城」は1925年1月1日の東亜日報、「팔베개 노래조」は1926年2月『假面』3號となっていますね。ただ、作った正確な日にちは分かりません。

詩子アナ:では、どこに掲載されているものを使っているのですか。

歌樽先生:素月の師匠の金億(김억)先生が『素月詩抄』(1939.12)pp84-93のもので、素月の詩を師匠が新しい表記法に直したもののようです。実はやや違うものが4年前の『三千里』66號、(1935.10)pp248-249に掲載されています。

詩子アナ:「萬里城」という詩はチェランとの出会いとのかかわりで作られた訳ですね。

歌樽先生:そうですね。チェランとの出会いがいろんなことを考えさせるようになり、ひいては朝鮮の歴史まで遡って見つめ直すことになったのでしょう。

詩子アナ:「無主空山」に含まれる詩は素月やチェランの苦悩だけでなく、「萬里城」では諺の語句のみを駆使していることから、民族の苦悩をも同時に示しているように感じました。

歌樽先生:「無主空山」の理解も深まったようですね。

詩子アナ:素月はミミズクではなくフクロウが早く来てくれるように願っていたのでしょうね。

歌樽先生:独断と偏見的解釈からすれば、ミミズクとフクロウを見分けられる人は少ないので、ミミズクと書いてもこれをフクロウと読める人だけにフクロウと読んでくれればいいと思っていたかもしれませんね。

詩子アナ:忍耐と寛容が求められているような気もします。歌樽先生:このあたりで少し休みましょう。この先に地ビールのお店があるようですから。

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