歌樽先生:すごいこととは何でしょうか。
詩子アナ:はい。ふたつあります。
第8問:一つ目は、「旧樹芽」の2行分だけで「新樹芽」ができていることがわかります。
二つ目は、「旧樹芽」の3行目と4行目は「新樹芽」では該当する部分がありません。
歌樽先生:ということは、どういうことでしょうか。
詩子アナ:「新樹芽」では「旧樹芽」の最後の2行の「春が自分にも来ていて芽吹こうとしている」と言う内容を切り離して、捨ててしまっています。
내가슴에도 봄이와서
지금 눈을 트랴고하여라.
なぜ、この部分を切り取ったのでしょうか。
歌樽先生:そうですね。そこはあとで考えることにしましょう。
第9問:まず。この部分を試訳しましょう。
詩子アナ:では、五七調でやってみます。
第9問:答 a) わが胸に春訪れぬ 今まさに芽を吹かんとす。
歌樽先生:七五調でもやってみますか。
詩子アナ:はい、では七五調で。
第9問:答 b) わが心にも春来たり 芽は今まさに出でんとす。
歌樽先生:いろいろと考えたようですね。漢詩か英詩の和訳のような趣がありますね。
詩子アナ:なんとなくこんな感じになってしまいました。
歌樽先生:金素月は漢詩をハングル訳するときに漢文調の訳はしなかったようですよ。
詩子アナ:金素月は漢詩を訳しているんですか。
歌樽先生:幾つも訳していますよ。孟浩然の「春暁」や杜甫の「春望」なども含まれています。
詩子アナ:「春暁」は「春眠暁を覚えず」で始まる詩ですよね。
歌樽先生:学校の書き下し文ではそう習うようですね。土岐善麿は「はるあけぼのの うすねむり まくらにかよふ とりのこえ かぜまじりなる よべのあめ はなちりけんか にわもせに」という訳をつけていますよ。
http://www.dwc.doshisha.ac.jp/faculty_column/representation/2015/post-204.html
詩子アナ:そういう訳詩があったんですか。
歌樽先生:もう一つ別の訳詩を原文と比べて見ましょう。
原文「春暁」孟浩然
春眠不覚暁 ハルノネザメノウツツデ聞ケバ
処処聞啼鳥 トリノナクネデ目ガサメマシタ
夜来風雨声 ヨルノアラシニ雨マジリ
花落知多少 散ツタ木ノ花イカホドバカリ
歌樽先生:では、これを問題にしましょう。「ハルノネザメノウツツデ聞ケバ」の詩に関してです。
第10問:この訳詩と最も関係の深い人物は次の内の誰でしょうか。
1) 芥川龍之介 2) 井伏鱒二 3) 内田康夫 4) 遠藤周作
詩子アナ:関係の深い人ですか。訳した人ではなくて?
歌樽先生:するどい指摘ですね。
詩子アナ:ということは本人が訳したものではないけれど、深い関係があるという訳ですね。
歌樽先生:本人の言葉では「亡き父親の残した訳を自分の好みのまま直した」とのことですが、どこまでが父親の訳なのか、どこをどう直したのかは書かれていません。
詩子アナ:ちょっと失礼して、調べてみます。
歌樽先生:調べる前に考えてみるということはしないんですか?
詩子アナ:最近、何でもすぐに探るようになって、こういう問題ではあまり考えなくなってしまいました。反省しなくてはいけないと時々考えてみることもあるのですが、ついついすぐに答を求めてしまいます。

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